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【歴史から学ぶ】お金持ちになる方法を歴史から紐解く:ロックフェラー家

こんにちは。

リテラシールのOGANです。

 

今回は、昔の人々が”いかにしてお金落ちになったのか”をフューチャーし、歴史から学ぶリテラシーをまとめました。

 

歴史を学ぶことで過去の先人たちの失敗や成功を知ることができ、ビジネスだけでなく生き方や自分の中の正義について、知見を得ることだ出来ます。

 

人間は悲しかな、これだけ科学・経済が発達した社会においても、2000年前から、同じようなことに苦悩したり、失敗をしたりしています。

 

読んでみると「偉人と言えど本質的には現代人と変わらず、悩んでいたんだなぁ。」と気づくことがあります。

 

プロイセンのドイツの宰相ビスマルクの言葉にこのような言葉があります。

 

 

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オットー・フォン・ビスマルク

参照:https://en.wikipedia.org/wiki/Otto_von_Bismarck

 

「愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ」

 

つまり、自分の経験に過信せず、歴史から賢者たちの失敗と成功を学んだ方がいいでしょう。という名言です。

 

リテラシールでは主に経済を動かした偉人を紹介し、歴史から学べるポイントをまとめていきます。

 

第一回目にフューチャーするのは資本主義の大国アメリカが生んだ偉人「ロックフェラー家の初代:ジョン・D・ロックフェラー」です。

 

それでは行きましょう!

1. ジョン・D・ロックフェラーの誕生から青年期

2. 卸売り企業設立から石油精製事業へ

3. 石油精製・販売業の制覇

4. 独占禁止法による解体

5. 引退後のロックフェラー

6. 歴史から読み取れるリテラシー

 

1. スタンダード石油の創設者・ジョン・D・ロックフェラー

初代ロックフェラーは、ニューヨーク州のRichfordという場所で1839年に、6人兄弟の次男として生まれました。

 

ロックフェラー家は17世紀にドイツからアメリカに入植したとみられています。

 

当時のロックフェラー家は貧乏で、ジョン・D・ロックフェラー(以下ジョン・D)は若いころから家事を手伝ったり、近所に農作物や飴を売るなどして家族を幼いころから支えていたようです。

 

ジョン・Dの父親は真面目に働く男ではなく、だますことに長けていたようで、取り引きをする際は自分に有利になるよう持ち掛ける術を子供たちに教えていたといいます。

 

一方ジョン・Dの母親は質素倹約で子供たちを支えていました。

 

1951年にRichfordを出て、別の群に引っ越しジョン・Dもクリープランド高校で会計について勉強を始めます。

 

不真面目な父親を反面教師とし、質素倹約な母親の良いところを受け継いだジョン・Dは真面目で行儀がよく、几帳面で議論を好む性格だったようです。

 

16歳になるとジョン・Dは学校に進学するのをやめて働き始めます。働き始めてからは、とにかく細かく帳簿を付けることに熱心で、「5セント足りなければ5セントを取り立て、5セント多ければ5セントを返す」というビジネスでの”当たり前”の倫理観をもって仕事をしていました。

 

 

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若き頃のロックフェラー
参照:https://en.wikipedia.org/wiki/John_D._Rockefeller

2. 卸売り企業設立から石油精製事業へ

 

ジョン・Dが20歳になったときに、卸売りの会社を設立します。ここでも兼ねてからの会計能力をいかんなく発揮し、着々と利益を上げていきます。

 

そんな中アメリカでは、掘削による大量の石油の噴出が確認され、石油掘削が一大ブームとなります。

 

一度掘削に成功すると、湧き続ける石油に、当時のアメリカ人は夢を見て、石油掘削のラッシュが起こります。

 

ただこのビジネスはハイリスク・ハイリターンで、掘削に失敗した場合は大量の負債を抱えることになります。

 

そのビジネスを客観的に見ていたロックフェラーは、石油の掘削ではなく、”精製した石油を売れば儲かる”というアイデアを思いつき、科学者を雇って精製技術を磨き、石油精製業を始めました。

 

これが見事に成功をおさめ、1870年にのちのスタンダード石油を設立します。

 

ジョン・Dは成功を収めていく中でも、教会に足しげく通い、資産の10%の資金を寄付し、勤倹貯蓄を守ったようです。

 

3. 石油精製・販売業の制覇

 

しかし、このスタンダード石油の拡大に向けて、輸送に用いていた鉄道業者の価格を安価にさせるようカルテルを組んだり、価格競争を仕掛けた同業他社には徹底的な安価で販売することで、他社をつぶしたり買収したりして、事業を強化していきました。

 

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30代のジョン・D
参照:https://www.britannica.com/biography/John-D-Rockefeller

その強烈なビジネスのやり方に、世間では「悪の商人」と囁かれバッシングを受けていました。

 

なお、スタンダード石油の”スタンダード”とは、「我々が販売しているものこそが標準」という意味でジョン・Dが名付けたといわれています。

 

しかし、ジョン・Dはこの批判を常に無視し続けました。

 

スタンダード石油は徐々に買収・統合を達成してゆき、1880年ごろにはアメリカでの石油精製と販売をほぼ手中に収めました。

 

それでも批判され続けるジョン・Dは沈黙を貫きました。

 

4. 独占禁止法による解体

アメリカを制覇したスタンダード石油は、世界進出を目論みます。

 

既にヨーロッパで石油精製業を支配していたロイヤル・ダッチ・シェル(日本では昭和シェル)と、東洋市場で激突していきます。

 

また石油精製から販売までを担うスタンダード石油は、地域の独占(水平拡大)だけでなく、販売ルートなどでも独占(垂直拡大)も始まります。

 

この拡大に伴い、実業界で一際異彩を放つジョン・Dは、鉄鋼王アンドリュー・カーネギーとも鉄鉱石の輸送事業で衝突し始めます。

 

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ロックフェラーの風刺画
参照:https://en.wikipedia.org/wiki/John_D._Rockefeller

このころのスタンダード石油は全盛期であり、純資産は米国のGDP1.5%相当に達しており、現在の価値で計算すると約30兆にのぼったようです。(ビルゲイツ氏の純資産の二倍相当)

 

そして、スタンダード石油は1911年に米国最高裁判所にて独占禁止法により、解体されることになります。

 

現在の石油産業における礎を作ったのはスタンダード石油であることは間違いないでしょう。

 

5. 引退後のロックフェラー

引退後、ロックフェラーは慈善事業に傾倒していき、1913年にロックフェラー財団を創設し、医療や教育に寄付をしていきます。

 

晩年のロックフェラーは、世間の誤解を解消したいと考え、自分の映像を撮影し公開していきました。

 

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晩年のロックフェラー
参照:https://www.britannica.com/biography/John-D-Rockefeller

 

その姿には、どこへ行っても10セント、子供には5セントを渡す姿が記録されています。

 

ジョン・Dが亡くなる前に、自動車王のフォードとこのような会話があったと記録されています。

 

ジョン・D

「さらば友よ。天国でまた会おう」

 

ヘンリー・フォード

「あなたが天国に行けたらね。」

 

6. 歴史から読み取れるリテラシー

 さていかがだったでしょうか?

 

ジョン・Dの生涯を通して守った哲学はどのようなものなのでしょうか?

筆者は下記のようにとらえています。

 

1. 勤勉に学び続け、質素な生活を標準的にする重要さ

2. ビジネスでお金を得られることができても、人に奉仕する喜びを忘れないこと

3. 会計の知識と几帳面さはどのビジネスにおいても重宝される

4. ビジネスのルールに従い、資本主義の世界で資本を大きくするために戦うこと

 

だと考えます。

 

確かにスタンダード石油の拡大期に犠牲になったライバルたちや、カルテルによる価格の値下げ等、倫理を逸脱するところもありましたが、ジョン・Dはスタンダード石油の拡大の先に見えたアメリカの経済を見据えていたのではないかと考えます。

(当時のアメリカはヨーロッパの列強からは下に見られていた。)

 

資本主義の徹底こそが彼のポリシーだったのかもしれません。

 

いかがだったでしょうか?

またロックフェラー家のその後と現在についても、別の記事で特集予定です。

 

お楽しみに!